(the grocery shop Jewel is now beginning to sell fire woods)
そろそろ冬の足音が。2,3週間前から、近くの大きなローカルスーパー、Jewel Oscoの店頭の片隅では、ハロウィーングッズに混じってネット入りの家庭用の薪も売りだされた。これから来る冬を考えると、憂鬱(本格的な冬になれば薪の売り場は拡げられて、除雪剤の袋も積み上がる。この辺では古いChicago brick造りの家も意外に多いし、暖炉や薪ストーブもまだ使われるのかもしれない)
同じ店頭の通路脇には"Coat Drive"のダンボール箱も出現…昨年シティ・カレッジの廊下にあったのと同じような。"Make Someone Warm!"と書いてあったりする。不要な冬物コートを投げ込んでdonateすれば、誰かが持ち帰って暖かい衣類を使える、mutual assistence。(学校によっては、Glass DriveとかFood Driveとかいった便乗パターンもある…)
きょうのトリビューン日曜版では"CHA winter coat drive helps thousands of kis"という記事をみた。
CHA(Chicago Housing Authority、シカゴ住宅局)が昨日、UIC(イリノイ大学シカゴ校)のFORUMの野外で4年目のannyal coat driveを開催したとか。4600の家族が以上が子供らのために、フリーの冬物コートをピックアップして帰った、とある。
(ウェブ版の記事はタイトルなどが紙版とは少し違うし、会場の様子のビデオもある….会場ではcoat driveイベントのなかで無料の医療診断や、歯科検診も行われたとか。来ている人は皆アフリカン・アメリカンみたいだ... the visitors are all African Americans?) ...Why the video is cut off so quickly?
http://www.chicagotribune.com/news/local/breaking/chi-thousands-of-cha-families-get-ready-for-winter-20111029,0,92428.story
"...The bad economy played a role in the larger numbers, but so did increasing word of mouth about the annual event that includes free medical screenings, dental care tips and sign ups for after school programs, organizers said."
"..The coats – for children up to age 14 who live in CHA residences or other subsidized housing overseen by the agency – were donated through the national non-profit Operation Warm.
Organizers expected to hand out nearly all of their stock of 10,000 on Saturday, with any leftovers going to Catholic Charities.
Last year, about 2,600 families registered for coats, said Kristen Hamer, CHA director of Community Relations.
She credited better organization and outreach – particularly to families in subsidized housing – for the larger number of participants this year."
このイベントに参加するにはcoat driveへの”Register"が必要なようだ。生活保護を受けている子供の居る家族などがメーンの対象者だとか。
CHAといえば60年代に、先々代リチャード・デイリー市長の号令で、黒人住民が集中するスラム撲滅を目的にル・コルビジェ風の高層公共住宅を林立させてひと時代を築いた。でも、建てた後の施設の管理や建設計画が杜撰すぎて、かえって人種隔離を悪化させ、その時代に黒人住民たちの生活レベルを沈滞させてしまった─というか、デイリー市長が(自分の住む)Irish の多い白人地域とDan Ryan Freewayで隔離して、わざとブラックベルトの住民を一箇所に押し込んだ… CHAが公共住宅をギャング組織がはびこるスラム住宅の代名詞にした張本人とかいうけれど、今は、このようなcoat driveをやっているらしい。
シカゴの街の歴史に関するソシオロジーのクラスではそんな話ばかり読むが、先日学校のカフェテリアでクラスのテキスト(Chicago of Big Shoulders)を読んでいると、前に座った1年生風の白人の男の子が話しかけてきた。
"Is that a book about Chicago..?" 彼は同じテキストを、高校のhistoryの授業で読んだとか。It was a nice book, It was a great class! と、彼はやや興奮ぎみに一人で覚えている内容を話し始めた。... OOO, xxx......Daniel Burnam, who designed xxxx…
そう、Burnamなら覚えているな、" I remember Daniel Burnam, the guy who created the sky scrapers?.. ”
すると、 "He was an architect .. 1893年のシカゴのWorld Fair (World Columbian Exposition)の会場を設計したんだ" という。World Fairは今ではほとんど忘れられているけれど、サウスサイドにWhite Cityという夢の都市が出現した博覧会だ。でも、シカゴが野蛮な都市ではないと内外に訴えるべく、アフリカン・アメリカンの住民の立ち入りを禁じたので、これも歴史に何となく悔いを残したみた目だけ綺麗な博覧会だった(その跡地を中心に提案された、5年後のシカゴ五輪の計画も、受け容れられなかった)
でも、Burnamは、その後に米国の各都市の摩天楼建築を設計してまわって、この世に残した人だ。
シカゴのダウンタウンのみならず。
そのテキストには、この街がChicagou(インディアン語でworld garlic-place…smelly onion)と呼ばれて草茫々の湿地帯だった草創の物語から始まり、前時代のKaleidoscopicな出来ごとがつぶさに書いてある(はっきりいって信じられないような物語ばかり)
ここから中西部の各地に延びる鉄道が敷かれだして、この街が物資の集積地になり発展し出したころ、街に入ってくる列車は、鉄道になれない人々を平気で轢き殺しながら入って来た…目も回るような急激な経済発展の時代もあった…云々(Instructorの彼女が群集の溢れる昔の街のフィルムをみせながら語った)
…この街の新参者にこの授業は有難い。New YorkならNew Yorkの、ChicagoでならChicagoのurban historyを学べるのは他にも代えがたいけれど、assignmentに困らされている。
*Michigan Lake, Edgewater Hollywood Beach on Oct 23rd.. - "Please hold back the summer!!"
Good by New Guinean Impatience on the Lake Shore
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