Tuesday, January 3, 2012

Research at Chicago's Ukrainian Village

 *  I made a small field research at Ukrainian Village, as an assignment in my sociology class..

    The area, which is located on Chicago’s Near West Side (just outside of the central Chicago,) is keeping Ukrainian ethnic character; but also, it is now drawing yuppies and other newcomers. In spite of its strong ethnic identity, this area is also transforming because of its nice location in the city.

     When I entered Ukrainian National museum, people were celebrating the museum's 50th anniversary in 2012. A lecture about the community's achievement was going on. An elderly man said, "We have been making a lot of contribution to this [country] ...well, not all of us.." (the audience laughed..)  According to the museum's leaflet, there were 4 distinct waves of Ukrainian immigration to the U.S. since the 1870s; Some came for economic reasons, others for political reason. The majority of Ukrainians living there now come from the 3rd and 4th waves..

   3rd Wave, about 80,000, was between 1945 and 1957; Mainly former DP(Displaced Persons..) of the WWII. Many of them were well-educated professionals, or cultural elites; 4th Wave was from the late 1980’s to the present, mostly economic immigration, since around the period of USSR’s collapse. Although relatively small in number, "the 3rd wave Ukrainians nevertheless played a vital role in reviving the Ukrainian community in Chicago.."
*Lecture at the Museum..

  ..I talked to Mr. Orest (the  vice president of the museum..) sitting surrounded by his pretty little grand daughters. He told us about his ("unforgettable") memories of DP camp in his childhood. "Ukrainians created everything by ourselves--such as schools, religious institutions, police, fire office, sports facilitiees.. in the camp, and we just lived self-reliantly.."

    He said he had been a nuclear engineer in a company in Texas until lately, and also..worked with a lot of Japanese people in the Japanese nuclear plant businesses.. But the company's business had all gone, due to the  earthquake in Japan, and he had retired after then in spring 2011.. I appreciate Mr. Orest having a conversation..

  ウクライナ・ヴィレッジはChicago中心部の外側Near West、Humboldt Parkのすぐ東、トレンディな街Wicker Parkの南側にある静かなエリア… このエリアでは通りすがりの人はほとんど皆ウクライナ語かポーランド語を喋っているようだし、カフェでは彼らが集っている。このエリアには、ビザンチン様式の豪華なUkrainian Catholicのカテドラルが3つ、4つ聳え立ち、コミュニティのアイデンティティを維持している。

 このカテドラルの立派さの印象からも… 住民は一見、豊かなMiddle Classのようにみえる。Ukrainian National Museumに入ると丁度、来年むかえるMuseumの50周年記念のイベントに人々が晴れ着で集まっている(黒地のジャケットに金糸や銀糸、赤白緑のカラフルな民族風の刺繍もみられる)そしてタイミングもよく、コミュニティへの移民と歴史についてのレクチャーが始まったのだ。

  Ukuraine人は自助努力と勤勉さで自らの生活を切り開いてきて…今は成人の80%が大卒だ、とMuseumの人は自慢する。年配の男性はスピーチのなかで、" ..We have all contributed to this (country...)Well, not all of us.." とか言いかけて、言い直し観客の笑いを誘っていた。

  ウクライナ移民には大きな4つの波があったが、今このエリアに住む住人は、第2次大戦中に祖国を追われ、ドイツなどの西ヨーロッパ各地のDP(Displaced Person)キャンプに住んだのちに、1950年頃に条約改正で米国にきた第3波の移民と、その子供たちが多いという。 
  
 第3波の政治移民はナチスの迫害を逃れてきた祖国の専門職のインテリやエリート層で、コミュニティの発展に大きく寄与した。その後、ソ連の崩壊後には第4波の経済移民もあった…外側からだけでは見えないこのエリアの人々の苦難の過去を知って驚いた。

 このエリアの人口には祖国ウクライナにおける隣人のポーランド人も多い…ウクライナ人とポーランド人は彼ら同士で言葉も通じ、食文化も似ているので助けあってきたのだ。現在この地域で、ウクライナ人の割合は全人口の30%ほど…Hoyne 通りなどには、ヴィクトリア様式などの古くてpricyな家々が、家族用apartment に転じられて残っている。

  Museumの副館長のオレストさんは、可愛らしいお孫さん二人を膝に乗せて、8歳の頃までいたドイツのDPキャンプの思い出話を話してくれた。ウクライナ人たちはその異国の地に自分たちで学校や教会、警察、消防、スポーツ施設など何から何まで作って暮らしたのだとか。…渡米の後、オレストさんは学位を取り原子力エンジニアとなった… 最近までテキサスの企業に勤め日本の原発事業にも関わり、多くの日本人と仕事をしてきたのだという。「でも、ことし3月の日本の震災で、我々のビジネスはみな、なくなってしまった。そして今年5月に退職したのだ」。こちらが日本人であると、直ぐに見分けたオレストさんはとても懐かしげに話してくれた…

(*museumのパネル展示: 故郷を追われたウクライナ人の出身地と、ヨーロッパのDP Campに送られた人の数)          

Saturday, December 31, 2011

フィールド・リサーチの事始め?

 この秋のSociologyの125、「シカゴのメトロポリスとしての発展」は大変だったが、充実していた。

  インストラクターは、シカゴと海外の公共住宅を比較研究する地元生まれの大学院生。彼女の紹介で街の歴史をじっくり垣間みるうちに、クラス中がはまってしまったようだ。ホームワークの量は容赦なかったものの、この街についてはけっこう知る事になった…

 人々が七転び八起きの驚異の努力を積みかさねて、発展を遂げた初期の街の歴史を読んで…さらにこの街にある多彩なエスニック地域から一か所を選んで、フィールドリサーチした(特定の移民層の多いエリアは77ヵ所ほどあるのだとか)

  スタートから2度目のクラスでは、皆でキャンパス近くの観光スポットWater Tower Plazaの広場のベンチに陣取り、field watchingの真似事をした… とにかく見たものすべてをまんべんなく、客観的にみたとおりにメモをとれ、とティーチャーは指示…

  "The Historic Water Tower"…という塔は一見正体不明だけれど、Chicagoanたちがミシガン湖底までトンネルを繋いで飲料水をひいた最初の給水塔だ。1871年の大火の唯一の焼け残り歴史的建造物。1906年まで使われたが、その後は…電動式ポンプの別棟の施設が稼動しているとか。

  広場を囲んで通行人ウオッチングをしつつノートをとっていたら、我々が何をしているのか不思議に思ったTouristたちに逆に質問された… 

 *Photo:The historic Water Tower =>
 We, the first SOCL students began our excercize of  field research here from the Water Tower Plaza.. Some passers-by tourists who seemed curious about our behavior (while we were taking notes on the bench..watching passer-bies)  have reversely asked us about what we were doing here.. 

 次なる実習はCTAのトレイン・ライドで、CTAの普段は乗らない路線に乗車して車内外を観察。郊外育ちの白人の多いクラスメイトたちは、未体験路線が多かったのかもしれないが…住居探しでけっこうエスニック地域に行き慣れていたので…今いち新鮮な感動が少なく書くことに苦労した。 

  対象ラインはレッドライン、グリーンライン、ブルーライン、ピンクライン…富裕層の白人地域にいくブラウンラインは、当然対象外である、という。

 …これが、簡単なエスノグラフィを書くための実習…何しろ100番台のクラスだから初歩的なトレーニングをするという。エスノグラフィを書く、とは何なのかを実感し、理解するのが目的だとか。

  授業の空き時間にアフリカン・アメリカン地域のサウスサイドの路線(レッド、又は、グリーンライン)で行き来して観察する。その地域に住む人たちの様子や服装、電車にのる目的は、どこへ行くらしいのか…窓の外の景色は…など気づいたことを皆、ノートにとる。
 
  特にグリーンラインは市の中でも一番の貧乏エリア路線、ダウンタウンのループ(環状線)から乗る車内の乗客の殆どはブラック…それに、メキシカン…たまにアジアンなど。半数は黙りこくって、やや暗い雰囲気もある …でも、半数の乗客は他の路線と変わらない普通な雰囲気の人々…元気な学生風の女の子たちなどだ。あくまで服装等の印象だけれど…ダウンタウンの繁華街で普通に買物を楽しんでいる…ミドル・クラス風のブラックの人たちもサウス・サイドから来ているとしか思えない。

  実際に、この街のエリアがこうも人種的に区分けされているのは歴史的な経緯が大のようだが、今では必ずしも所得のせいではない…中流・上流の所得に到達した結構富裕な黒人層でも、そのままこうした黒人エリアに住みたがる人も多いそうだ…(それは学期末にアトランタから来た、ジョージア州立大のリサーチャーたちのプレゼンできいた話)

 社会的なプレッシャー(不動産業者の、昔からの人種的に不平等な裏のポリシーや…白人地域の物件を黒人に紹介しない、白人地域に中流層の黒人が住んでも周囲の白人住民の目も冷たいし、差別される… など)で、中流以上の黒人も白人地域などに移住したがらず、居住区の人種別隔離がなかなか解消しないという。

 *Photo:グリーンライン Garfield Sta.

  シカゴ住宅局は、老朽化した公共住宅を出た黒人住民などを新たに計画した人種混住のミックスド・インカム地域へと移住させて人種隔離を緩和する努力もしているが…あまり効果が上がっていないとか…
黒人のおじさん等がいつも、
Chess大会をする
(University of ChicagoのMandel Hall)

─次なる課題とは、ファイナルペーパーのために自分の好きな市内のひとつの移民エリアを選ぶこと。予想以上に土地勘が必要で試行錯誤した…

 イタリア系、ドイツ系やポーランド系などのシカゴの昔を偲ぶ「古い移民エリア」?とか…テキストには載っていても、実際にはもう影が薄くてリサーチ向きではない…
 唯一、歴史的な過去を辿れるスポットがたまに残っているのば、観光客や学生向けの小さな博物館… その代表は、Holstedの有名なセツルメントハウス、Hull HouseのMuseumなど… 


 *Hull Houseは、Jane Adamsが設立した移民のための最初のコミュニティセンター…今ではその回廊型建築の13棟のうち2棟だけ残存する。火曜日には昔を偲ぶSoup Kitchenとレクチャーがあったが、近く閉鎖するともいう(本当のHull Houseをみれなくなるのは、まずいのではないか…)

 Photo: Hull House Museumにあるセツルメントハウスの建物の模型)--->


 
*リサーチの対象エリアには結局…ウィッカー・パークの南隣の、エスニック色が強く集中しているウクライナ・ヴィレッジを選んだ。
        

*18th St.駅の Mexicanのナショナリズムたっぷりのmural。このPilsen areaもリサーチにお勧めめエリアだという















*Explore Chicago's 77ethnic neighborhood ...Good for sightseeing
http://www.explorechicago.org/city/en/neighborhoods.html

Sunday, December 25, 2011

Take a look at Bronzeville and 75th St...

Lately,  Chicago is snowless and amazingly warm..
I glanced at "Bronzeville" area..from Green Line's 35th Bronzeville-I.I.T sta..before returning home



<---"Chicago Defender" (The legendary black newspaper in the Great Migration period..)

..Dr. Martin Luther King Drive is the main street for strolling if you wish to find the artifacts of the Black Metropolis since 1920s
..though, old atmosphere is hardly seen

  

<---Sacchimo's Former residence








<--Olivett Baptist Church..

 -  the first African American church..


<--- Near 73th Street and Stony Island..
here appeared the big, rich golden dorm!!



-  It is Nation of Islam's hq Mariam Mosque
.. I saw a couple of preachers (Mr. Sultan Muhammad et al.. both of them were almost Marcom X looks-alike) I read this site was donated to Mr .Louis Farracan by Col. Quaddafi in '70s..is that true?

Sunday, December 11, 2011

Maggie Daley ..the wife of ex-Mayor Daley died on Thanksgiving Day..
- A couple of  my classmates seemed like  named after her..

"Blago gets 14 years"..

Friday, November 11, 2011

Rock Star Teachers?

   Sudhir Venkateshといえば、University of Chicagoの社会学部で、公共住宅Robert Taylor Homesのブラック・コミュニティを研究して博士号を取得して、その後その7年間のフィールドノートを小説に仕立てた"Gang Leader for a Day"で名前が知れ渡った、インド系の社会学者…以前、日本の書店の書棚でなんとその邦訳('ヤバイ社会学')を偶然みつけて、立ち読みしていた。
 Chicagoの大学だと、やはりVenkateshのことがときどき、話題に持ち出される。今回のクラスでも、彼の博士論文(*タイトルは"American Project": http://www.sudhirvenkatesh.org/books/american-project )をアサインメントで読んだのだ(当たり前だけれど、スラング満載の小説に比べてアカデミックで真面目な論文)インストラクターのキンバリーは"とにかくVenkateshは、Rock Starなのよね.."、といって、腰に両手を当てて、邦訳版の裏表紙にもあるヤブニラミの著者プロフィール写真のマネをしてみせた…(VenkateshはUofCの大学院生時代に、浅黒いインド人の風貌から、Blackのギャングコミュニティに侵入してもNiggerと呼ばれてすっかり仲間扱いされ、首尾よくほかの学者にはできない調査を敢行したと書かれている) …Venkateshは学会では嫌われていると彼女はいうが当然かも
  VenkateshのYoutube Videoは… http://www.youtube.com/watch?v=mnww3ZNPymM

  Rock Starなティーチャーといえば…「インターナショナルスタディース」のドクターマラールか。…もが引き付けられるし若者に人気のタイプ風?(ネット上には、賞賛の嵐)、でも今回のfirst classを大胆にもすっぽかして、なぜか現れなくて(呆気にとられた)
*〈2年後になって急にわかったが、その日に彼はTVのローカルニュースに出演していた)
  Du Paulの人気の助教授で、アラブ・イスラエル紛争等がご専門、パレスチナ生まれだがクウェートから移住した… 最近、米国のアラブ・ロビーの存在を掘り下げた問題な彼自身のPhDテシスが本になった…
  それをクラスに読ませて学生をかなり洗脳している。
 BBCのサイト等から選んだ、テロリズムに関するユニークなビデオをみせてくれる。ニュースはBBCかAl Jazeera系を、そして最後には脈絡のないヘビメタ・ロックの危なっかしいビデオを追加する…
 
 先日、ドクターマラールが、クラスのゲストスピーカーとして、Du Paulを退官された日本人女性元教授、ワタヌキ先生を連れてこられた。うちの大学に昔あったWomens collegeの卒業生… 1954年に米国に渡られてドクターをとられ、女性組織論などを世界中の大学で教えてこられたが、70代の終わりでいらっしゃる。50代ぐらいのお若さの気さくな方なのでとてもびっくりし、後塵を拝したかった

 *She rocks..! ワタヌキ先生


 他のクラスでも先生方が面白いビデオを時々みせてくれる

 特筆なのは、アーチスト・サイエンティストのJonathan Harrisによるメディア・アート3部作のビデオ↓

Jonathan Harris collects stories
 http://www.ted.com/talks/jonathan_harris_collects_stories.html

Nigeriaのチャーミングな女性fiction作家の
Chimamanda Adichie
http://www.ted.com/talks/chimamanda_adichie_the_danger_of_a_single_story.html

 ↑ TED.Ideas worth spreadというサイトは、興味深い人々のレクチャーを沢山網羅してハイセンス!

Monday, October 31, 2011

CTA TRAIN RESEARCH..
                                                                                                        Red Line Garfield Sta. on Oct 14..




Green Line Cottage Grove Sta. on Oct 24

Sunday, October 30, 2011

Winter Coat Drive

(the grocery shop Jewel is now beginning to sell fire woods)

 そろそろ冬の足音が。2,3週間前から、近くの大きなローカルスーパー、Jewel Oscoの店頭の片隅では、ハロウィーングッズに混じってネット入りの家庭用の薪も売りだされた。これから来る冬を考えると、憂鬱(本格的な冬になれば薪の売り場は拡げられて、除雪剤の袋も積み上がる。この辺では古いChicago brick造りの家も意外に多いし、暖炉や薪ストーブもまだ使われるのかもしれない)
 
 同じ店頭の通路脇には"Coat Drive"のダンボール箱も出現…昨年シティ・カレッジの廊下にあったのと同じような。"Make Someone Warm!"と書いてあったりする。不要な冬物コートを投げ込んでdonateすれば、誰かが持ち帰って暖かい衣類を使える、mutual assistence。(学校によっては、Glass DriveとかFood Driveとかいった便乗パターンもある…)

 きょうのトリビューン日曜版では"CHA winter coat drive helps thousands of kis"という記事をみた。
 CHA(Chicago Housing Authority、シカゴ住宅局)が昨日、UIC(イリノイ大学シカゴ校)のFORUMの野外で4年目のannyal coat driveを開催したとか。4600の家族が以上が子供らのために、フリーの冬物コートをピックアップして帰った、とある。
(ウェブ版の記事はタイトルなどが紙版とは少し違うし、会場の様子のビデオもある….会場ではcoat driveイベントのなかで無料の医療診断や、歯科検診も行われたとか。来ている人は皆アフリカン・アメリカンみたいだ... the visitors are all African Americans?) ...Why the video is cut off so quickly?

http://www.chicagotribune.com/news/local/breaking/chi-thousands-of-cha-families-get-ready-for-winter-20111029,0,92428.story

"...The bad economy played a role in the larger numbers, but so did increasing word of mouth about the annual event that includes free medical screenings, dental care tips and sign ups for after school programs, organizers said."

"..The coats – for children up to age 14 who live in CHA residences or other subsidized housing overseen by the agency – were donated through the national non-profit Operation Warm.

Organizers expected to hand out nearly all of their stock of 10,000 on Saturday, with any leftovers going to Catholic Charities.

Last year, about 2,600 families registered for coats, said Kristen Hamer, CHA director of Community Relations.

She credited better organization and outreach – particularly to families in subsidized housing – for the larger number of participants this year."

 このイベントに参加するにはcoat driveへの”Register"が必要なようだ。生活保護を受けている子供の居る家族などがメーンの対象者だとか。
 CHAといえば60年代に、先々代リチャード・デイリー市長の号令で、黒人住民が集中するスラム撲滅を目的にル・コルビジェ風の高層公共住宅を林立させてひと時代を築いた。でも、建てた後の施設の管理や建設計画が杜撰すぎて、かえって人種隔離を悪化させ、その時代に黒人住民たちの生活レベルを沈滞させてしまった─というか、デイリー市長が(自分の住む)Irish の多い白人地域とDan Ryan Freewayで隔離して、わざとブラックベルトの住民を一箇所に押し込んだ… CHAが公共住宅をギャング組織がはびこるスラム住宅の代名詞にした張本人とかいうけれど、今は、このようなcoat driveをやっているらしい。

 シカゴの街の歴史に関するソシオロジーのクラスではそんな話ばかり読むが、先日学校のカフェテリアでクラスのテキスト(Chicago of Big Shoulders)を読んでいると、前に座った1年生風の白人の男の子が話しかけてきた。
 "Is that a book about Chicago..?" 彼は同じテキストを、高校のhistoryの授業で読んだとか。It was a nice book, It was a great class! と、彼はやや興奮ぎみに一人で覚えている内容を話し始めた。... OOO, xxx......Daniel Burnam, who designed xxxx…

  そう、Burnamなら覚えているな、" I remember Daniel Burnam, the guy who created the sky scrapers?.. ”

 すると、 "He was an architect .. 1893年のシカゴのWorld Fair (World Columbian Exposition)の会場を設計したんだ" という。World Fairは今ではほとんど忘れられているけれど、サウスサイドにWhite Cityという夢の都市が出現した博覧会だ。でも、シカゴが野蛮な都市ではないと内外に訴えるべく、アフリカン・アメリカンの住民の立ち入りを禁じたので、これも歴史に何となく悔いを残したみた目だけ綺麗な博覧会だった(その跡地を中心に提案された、5年後のシカゴ五輪の計画も、受け容れられなかった)
 でも、Burnamは、その後に米国の各都市の摩天楼建築を設計してまわって、この世に残した人だ。
 シカゴのダウンタウンのみならず。

 そのテキストには、この街がChicagou(インディアン語でworld garlic-place…smelly onion)と呼ばれて草茫々の湿地帯だった草創の物語から始まり、前時代のKaleidoscopicな出来ごとがつぶさに書いてある(はっきりいって信じられないような物語ばかり)
 ここから中西部の各地に延びる鉄道が敷かれだして、この街が物資の集積地になり発展し出したころ、街に入ってくる列車は、鉄道になれない人々を平気で轢き殺しながら入って来た…目も回るような急激な経済発展の時代もあった…云々(Instructorの彼女が群集の溢れる昔の街のフィルムをみせながら語った)
 …この街の新参者にこの授業は有難い。New YorkならNew Yorkの、ChicagoでならChicagoのurban historyを学べるのは他にも代えがたいけれど、assignmentに困らされている。

*Michigan Lake, Edgewater Hollywood Beach on Oct 23rd.. -  "Please hold back the summer!!"
Good by New Guinean Impatience on the Lake Shore